舞台『赤鬼』感想

昨日YouTube野田秀樹作・演出の舞台『赤鬼』を見た。今日になっても色々なことを考えてしまうほど心に残った。メモ程度に考えたことを書いていこうと思う。

これは知識の全く無い舞台素人の拙い感想だ。時系列がバラバラでうろ覚え、急に始まって急に終わる。ネタバレも含む。諸々許せる方以外ブラウザバック推奨だ。

 

トンビが語り手というのが非常に良い。フクやミズカネや村人は良くも悪くも偏見に塗れているのだろうから、頭の足りないトンビが言葉をそっくりそのまま受け取り、見たまま、聞いたままを伝えることで、より客観的に物語を見ることができるのだと思う。語り手がフクやミズカネや村人、はたまた赤鬼だったら全く別の物語になるのだろう。

 

未知のモノへの恐怖が鮮明に、とてもリアルに描かれていた。

皆最初は赤鬼を怖がる。フクだってそうだ。しかし、水をあげたら喜ぶということからフクは赤鬼のことを恐れつつも心を通わせていくことになる。頭が足りないので恐怖心が薄いトンビと、フクとヤりたいだけのミズカネもフクにつられてどんどん心を通わせていく…

この関係がとても良い。積極的に好意的に赤鬼と関わっていくフク、フクを自分のものにしたいが為に渋々赤鬼と関わっているミズカネ、フクとミズカネに言われたことに従っているトンビ。皆立場が違うので赤鬼に抱いている感情がバラバラで、そのバラバラの感情がずっと変わらない。

ミズカネの立ち位置がとても好きだ。彼は三人の中では一番村人寄りの考えを持つ人だが、”フクとヤりたい”という欲望の為に動いている。”海の向こうを見たい”という夢もあるのだが命を賭してまで叶えたいとは思っておらず、自分がちょっと頑張ればできそうなことならやる、というのがとても人間臭くて良い。

赤鬼を連れて海に出る所からラストまでの彼が特に好きだ。彼の海の向こうへ行ける計画は上手くいくかのように思えたが、いくつかのアクシデントのせいで失敗してしまう。船がもう居ないのも、トンビが3つの花しか積まなかったのも自業自得で、トンビのミスに関してはミズカネがもっとトンビと真剣に関わっていたら防げたことなので本当に自業自得だ。

ラストの「愛してるからだ」「嘘に決まってるだろ、ヤりたいからだよ」というセリフがとても好きで、彼はどこまでも人間なんだと思った。結局ヤりたいだけなんだから、ほんの少し気持ちがあったとしても「愛してる」なんて言わなければ良い。ついいってしまったのだとしても「嘘だ」なんて言わないほうが良い、でも愛する覚悟も無いから「嘘だ」と言って逃げる。結局は「嘘だ」って言っちゃう所が人間臭くて良い。

ミズカネも酷いけど村人の方がもっと酷い。本当に気持ちが悪い。赤ん坊を自分で赤鬼に渡したくせに赤鬼のせいにして皆で排除しようとする。フクの話には耳も貸さず、全て赤鬼が悪いと決めつける。酷い話だが、未知への恐怖とはそういうものだと思う。分からないものは怖いし、大勢の意見に従うほうが楽だ。自分があの状況に置かれたら、きっとあの村人達と同じように振る舞うのだろう。

真実を知ろうともせず、噂話に流され、異なるものに差別的な目を向ける。私もきっと無意識のうちにやってしまっている。それを可視化されて突きつけられているからより気持ち悪く感じるのだと思う。

村人達は結局、赤鬼のことを”赤鬼”としてしか認識していない。赤鬼のことをアスラムとして見ているのはフクだけだ。フクはただ赤鬼と友好的に接しているだけなのに「身体まで通じている」だの「鬼と人間どちらが産まれる」だの心無い言葉ばかりフクに浴びせられる。害を与えることは無いと分かっていながらも異なるものというだけで疑いがかかれば有る事無い事言って攻撃する。大勢とは違うだけでそれが許されると思っている。明確に悪意を持って攻撃するだけじゃない、老人二人が訪ねてきたシーンのように根底にある差別意識が、違うモノとして見ることが、赤鬼やフクを傷つける。

村人の描写の恐ろしい所は「自分も愚かで人を攻撃してばかりの村人達と同じことをするかもしれない」と思わせられる所だ。客観的に見れば、赤鬼だって一人の人間だと分かるし、排除され差別され虐げられる赤鬼は可哀想で、村人達は本当に酷い奴だと分かる。でも自分が当事者だったらどうするのだろう。赤鬼を違うモノとして見ないだろうか?真実を確かめようとするだろうか?赤鬼を攻撃しないだろうか?…ここから先を考えるとゾッとする。

では村人達のようにではなくフクのように振る舞うのが正解か?と聞かれたらそれも違うと思う。というかずっと正しい行動をしている人なんて居ない。皆、間違えたり失礼な態度を取ったりすれ違ったりしている。それでも間違いを正し、非礼を侘び、誤解を解きながらなんとか生きていくのだと思う。

赤鬼がだんだん人に見えていくのが凄い。初めは獣なんじゃないか?と思うほど狂暴で、近づけば取って喰われてしまうそうな恐ろしさを見せる。皆が過剰に怖がるせいもあって本当の鬼に見える。でもフクとコミュニケーションを取っていくうちに、まるで友達のように笑い合えるようになる。初めは雄叫びにしか聞こえなかった赤鬼のセリフが、時間が経つにつれ英語に聞こえてくるから凄く面白い。

フクがだんだん赤鬼を人間扱いしていくのが好きだ。出会った初めこそ鬼扱いだったが、身振り手振りが分かると鬼から動物のような扱いへ、言葉が分かると動物から人のような扱いへ、二人で喋れるようになると人から友達のような扱いへと変わっていく。このグラデーションのような関係性の変化がリアルだなと思う。

でも「言葉を知る度あなたが分からなくなる」と言うシーンであったり、裁判のシーンであったり、フクが赤鬼を疑う様子もきちんと描かれている。そりゃそうだ、たとえ簡単な意思の疎通はできていても全て理解している訳では無い、知らないものへの恐怖はフクにもあるのだ。信じたいけど信じれない、そんな葛藤が人間臭くて好きだし、結局赤鬼を信じるフクは凄く強い人なのだと思う。

最初は「ウミガメのスープだこれ!」くらいにしか思わなかったあのシーンも、時間が経つにつれ、赤鬼が人間になるにつれ、どんどん辛く苦しいシーンになっていった。最後の三人の会話にもあるように、あのとき、あの船の上で、きっと皆分かっていた。ミズカネも、トンビも、フクだって。

なぜなら”フカヒレのスープ”を出したのはトンビではなく村一番の嘘つきのミズカネだから。でもそれを言ってしまえば、分かってしまえば生きては行けないのだ。それはフクが嫌っていた人を人扱いしない人間に自分がなってしまうことを意味するから。船の上で”フカヒレのスープ”を飲んだことも、浜でミズカネに聞いてしまったことも、矛盾だらけでフクの弱さだけどそんな所が”人間”って感じでとても好きだ。

 

このような抽象的な舞台は色々な表現を見ることができてとても面白い。毎回あっと驚かされる。

噂好きの女達、頭の硬い老人達、はたまた森の木々にまでありとあらゆるものに変わっていく人達、使われ方によって机にも船にも洞窟にもなる最小限の道具、同じ場所が浜にも家にも海にもなる照明や音響。どの表現も様々な工夫が詰まっていて素晴らしかった。

あと、言葉遊びがとても面白かった。フクとミズカネの煽り合いの中に入っている言葉とか、意味を分かっていないトンビとのやり取りとかが面白くて笑ったし、赤鬼との若干噛み合ってない会話もクスっときた。笑いだけでなく、「大事」と”Oh,god!”のように物語のポイントになる部分にも”言葉”がキーになっていて凄いなと思った。

 

きっとまだまだ考えることが有るのだろうが、私にはこのくらいで精一杯だ。劇中は「どういうことだ?」「どうなるんだ?」の連続で世界観に引き込まれ役者さんの演技に圧倒された。あっという間の1時間40分で、見た後はテーマが胸にのしかかり、いつまでも作品の余韻に浸っていたいような、そんな素敵な時間だった。本当に面白い劇でした。ありがとう。

 

余談だがこの話で全国大会に行った演劇部があるらしい。ヤバいな、高校生がこの話をやるのか…これめちゃくちゃ演技上手い人じゃないと成り立たないでしょ……あ、演技が上手いから全国大会に行くのか、納得。

 

2020/12/2/3397文字