引っ張られる

何かを作る時、既にある何かに引っ張られるなって話。

この間自分の代理を作ったんだけど、完成したのを見ると結構あるキャラに似てた。髪の長さとか色とか強気な表情とか。作ってる時はそのキャラに似せようとか全然思って無かったから完全に無意識。なんか嫌。

この「作ってる時は気づかないけど、思い返してみればアレをパクってる」っていうのが結構あることに気がついた。

 

主に構図だ。最近、手癖で描いたイラストのポーズが前日見た素敵なイラストのポーズと一緒だった。すぐ気づいてボツにしたけど「普段描かないポーズを思いついたぞ」と思っていたから少しショックだった。

これはすぐ気づいたから良かったけど、今までに「素敵だな…」と思ったイラストの構図に無意識に似せてることって結構やってると思うんだよな…絵が下手なので「パクリだ!」とは言われないから良いっちゃ良いんだけど、自分で「良い構図が思いついたぞ!」と思っていたら実は無意識でお手本にしてるものがあるって結構嫌なもんだ。

名前

私が今まで真剣に人の名前を考えたことは二回しか無いんだけど、その二回とも引っ張られている。

一回目はオリキャラの女の子の名前。ネーミングセンスを母親のお腹の中に置いてきた私にしたら中々響きの良いオリジナリティのある名前になったな…と当時は思っていたけど今見たら同じ漫画のキャラであるA美の名字とB子の名前を組み合わせてるだけだった。しかもオリキャラはその漫画と一ミリも関係ないし、A美とB子も特別な絡みがある訳では無い。

二回目は私の源氏名。風俗で働いたことも、働く予定も無いので全く必要無いんだけど、ある日ふと閃いたのでいつか使うことがあったら使おうと思っている。あとは本名を教えたくない時とか。(いつ?)

ありがちな名前にしたつもりだったんだけど友人の名前とほとんど同じだった。ちなみにその友人に指摘されるまで全く気が付かなかった、一文字違うだけなのに。

 

色々書いたけど、結局は「自分のオリジナルだ!」と思ってたものが実はオリジナルじゃないことに気づいてちょっと悲しいなって話。

例えば「このイラストを参考にして描こう!」と自分で決めて似せるなら良いんだけど無意識のうちに似てるのは結構嫌。なんでだろう、オリジナリティが無いように感じるからかな。

でも無数の作品が存在する現代に何とも被ってない作品を作るなんて不可能なんだよな…そもそも好きな絵柄を参考にしたりとか資料をそのまま描いてたりするからオリジナリティなんて無いのかも。いや、どう組み合わせるかで自分らしさは出てるのかな?う~ん、オリジナリティって難しいな…

 

2020/12/14/1110文字

このブログについて

このブログはオタクが自分語りをしたり好き勝手に話したりするためにフォロワー向けに開いたブログ。しかし、自己顕示欲が強いので大体全体公開にしてある。

以下カテゴリーの説明 

 自分語り

私自身の話。オタクとか全然関係が無いただの私生活とか思い出話とか私の人格とか。フォロワー向けの話。

性癖の話

下ネタとかフェチとかそこらへんの話。

作品語り

特定の作品についての話。舞台とかドラマとかの感想、考えたことなど

チラシの裏

暗い話。愚痴とかちょっと言いにくいこととか。見ないでいいです

オタク話

一般化されたオタク的な話。二次創作や腐女子について

その他

ほとんど日記。あとカテゴリーがよく分からんやつ

やっぱ腐女子なんじゃないか?

二次創作BLの話、下ネタが含まれるので苦手な方はブラウザバック推奨。

nakameda.hatenablog.com

 以前この記事に「私は腐女子ではない」と書いた。「二人が乗せあってるクソデカ感情を読みたいだけだ」と。書いてるときはそう思っていたけど最近そうでもないんじゃないかと思いだした。

 だってクソデカ感情読みたいだけだったらR18を読む必要は全く無いんだもん…でも実際私はR18を読んでいる。なんならブックマークして繰り返し読んでいる。しかもイチャラブセックスをするものばかり。だめだ、もう言い逃れできない、私は好きな二人組に恋愛を求めてしまっている…

そもそもカップリングとは何だろうか?恋愛感情を抱いている二人のこと?では恋愛感情とは何か?

いつも恋愛の定義でつまずく。恋愛とは愛の一種だろう、友愛とか家族愛とか愛にも色々ある。それらと恋愛を区別するものはなんだろう?これが分からない。分からないから二次創作で「二人が乗せあってるクソデカ感情の正体は恋愛感情です!」って言われると「ふーん、そうなんだ」となってしまうのだ。

更に厄介なのは同性同士であるということだ。男女の恋愛と愛の違いですら分からないのに、同性同士になると恋愛的な好きと好きの違いが本当に分からない。

やっぱセックスしたい気持ちがあるかないかだと思うんだよな、今の所。男女は知らんけど同性でセックスしたいって相当じゃない?ただの性欲処理なら風俗なりなんなりあると思うんだけど、わざわざその相手としたいってめちゃくちゃ相手のこと好きじゃない?

分からん、私がイチャラブセックスものしか読まないからかもしれない。でもよく「お前のこと、そういう意味で好きなんだよ」って言ってベッドインしてるのを見るから一般的にはそういうことなんじゃないか?う~ん、恋愛感情分からん!

きっと恋愛感情の謎が解けるまで腐女子か?腐女子でないか?という悩みは尽きないんだと思う。

この記事を書き始めたきっかけ、というか「やっぱり腐女子なんじゃないか?」と思ったきっかけは、好きな”友情コンビ”ができたことだ。

作品を見ているときは「お、この二人カプか…?」と思いながら見てたけど、作品を見終えると「この二人はセックスしねぇ!カプじゃねぇや!」となった。作品の最後に「俺たちの”友情”」と公式から提示されたことも影響するのだろうが、たぶん提示されなくても同じ結論に至っていたと思う。なんていうかセックスするほどドロドロした感情を持っていないように感じる、お互いに。

この”好き友情コンビ”ができてから私の最推しカプ(セックスをする)が際立つようになった。友情コンビと最推しカプは攻めが私のタイプで受けのことを私が可愛いと感じているという点で同じだった。でも友情コンビには恋愛的な好きを見出すことができなかった。つまり、好きな二人なら必ずカプを組むという訳では無いということだ。

やっぱり私は最推しカプに恋愛感情を見出している腐女子なのだ。でも、自分でカンプリング(セックスをする)を組むことができなかったり商業BLにあまり興味が無いのでひよっ子腐女子といったところだろうか。いや、受精卵くらいかな。

 

と思ったのだけど、書いてる途中に最推しカプは二次創作から知ったということを思い出した。

二次創作から知ったと言っても、いきなり腐向け作品を見た訳では無い。とても好みの絵を描く人がその二人のことを(感想や解釈含め)よく描いていて、それを繰り返し繰り返し眺めていたのだ。それから本編を見て、後にその絵師さんがピクブラでその二人のカップリングを描いていることを知った。恐らく私の二人に対するイメージはこの絵師さんにだいぶ影響されている。

それでも初めて読んだ推しカプの小説はその絵師さんのものでは無いので、二人に恋愛感情を見出したのは私なのだろうか?うーん、分からん、結局私は腐女子なのか?っていうかそもそも腐女子ってなんだ!!!!

 

2020/12/3/1642文字

舞台『赤鬼』感想

昨日YouTube野田秀樹作・演出の舞台『赤鬼』を見た。今日になっても色々なことを考えてしまうほど心に残った。メモ程度に考えたことを書いていこうと思う。

これは知識の全く無い舞台素人の拙い感想だ。時系列がバラバラでうろ覚え、急に始まって急に終わる。ネタバレも含む。諸々許せる方以外ブラウザバック推奨だ。

 

トンビが語り手というのが非常に良い。フクやミズカネや村人は良くも悪くも偏見に塗れているのだろうから、頭の足りないトンビが言葉をそっくりそのまま受け取り、見たまま、聞いたままを伝えることで、より客観的に物語を見ることができるのだと思う。語り手がフクやミズカネや村人、はたまた赤鬼だったら全く別の物語になるのだろう。

 

未知のモノへの恐怖が鮮明に、とてもリアルに描かれていた。

皆最初は赤鬼を怖がる。フクだってそうだ。しかし、水をあげたら喜ぶということからフクは赤鬼のことを恐れつつも心を通わせていくことになる。頭が足りないので恐怖心が薄いトンビと、フクとヤりたいだけのミズカネもフクにつられてどんどん心を通わせていく…

この関係がとても良い。積極的に好意的に赤鬼と関わっていくフク、フクを自分のものにしたいが為に渋々赤鬼と関わっているミズカネ、フクとミズカネに言われたことに従っているトンビ。皆立場が違うので赤鬼に抱いている感情がバラバラで、そのバラバラの感情がずっと変わらない。

ミズカネの立ち位置がとても好きだ。彼は三人の中では一番村人寄りの考えを持つ人だが、”フクとヤりたい”という欲望の為に動いている。”海の向こうを見たい”という夢もあるのだが命を賭してまで叶えたいとは思っておらず、自分がちょっと頑張ればできそうなことならやる、というのがとても人間臭くて良い。

赤鬼を連れて海に出る所からラストまでの彼が特に好きだ。彼の海の向こうへ行ける計画は上手くいくかのように思えたが、いくつかのアクシデントのせいで失敗してしまう。船がもう居ないのも、トンビが3つの花しか積まなかったのも自業自得で、トンビのミスに関してはミズカネがもっとトンビと真剣に関わっていたら防げたことなので本当に自業自得だ。

ラストの「愛してるからだ」「嘘に決まってるだろ、ヤりたいからだよ」というセリフがとても好きで、彼はどこまでも人間なんだと思った。結局ヤりたいだけなんだから、ほんの少し気持ちがあったとしても「愛してる」なんて言わなければ良い。ついいってしまったのだとしても「嘘だ」なんて言わないほうが良い、でも愛する覚悟も無いから「嘘だ」と言って逃げる。結局は「嘘だ」って言っちゃう所が人間臭くて良い。

ミズカネも酷いけど村人の方がもっと酷い。本当に気持ちが悪い。赤ん坊を自分で赤鬼に渡したくせに赤鬼のせいにして皆で排除しようとする。フクの話には耳も貸さず、全て赤鬼が悪いと決めつける。酷い話だが、未知への恐怖とはそういうものだと思う。分からないものは怖いし、大勢の意見に従うほうが楽だ。自分があの状況に置かれたら、きっとあの村人達と同じように振る舞うのだろう。

真実を知ろうともせず、噂話に流され、異なるものに差別的な目を向ける。私もきっと無意識のうちにやってしまっている。それを可視化されて突きつけられているからより気持ち悪く感じるのだと思う。

村人達は結局、赤鬼のことを”赤鬼”としてしか認識していない。赤鬼のことをアスラムとして見ているのはフクだけだ。フクはただ赤鬼と友好的に接しているだけなのに「身体まで通じている」だの「鬼と人間どちらが産まれる」だの心無い言葉ばかりフクに浴びせられる。害を与えることは無いと分かっていながらも異なるものというだけで疑いがかかれば有る事無い事言って攻撃する。大勢とは違うだけでそれが許されると思っている。明確に悪意を持って攻撃するだけじゃない、老人二人が訪ねてきたシーンのように根底にある差別意識が、違うモノとして見ることが、赤鬼やフクを傷つける。

村人の描写の恐ろしい所は「自分も愚かで人を攻撃してばかりの村人達と同じことをするかもしれない」と思わせられる所だ。客観的に見れば、赤鬼だって一人の人間だと分かるし、排除され差別され虐げられる赤鬼は可哀想で、村人達は本当に酷い奴だと分かる。でも自分が当事者だったらどうするのだろう。赤鬼を違うモノとして見ないだろうか?真実を確かめようとするだろうか?赤鬼を攻撃しないだろうか?…ここから先を考えるとゾッとする。

では村人達のようにではなくフクのように振る舞うのが正解か?と聞かれたらそれも違うと思う。というかずっと正しい行動をしている人なんて居ない。皆、間違えたり失礼な態度を取ったりすれ違ったりしている。それでも間違いを正し、非礼を侘び、誤解を解きながらなんとか生きていくのだと思う。

赤鬼がだんだん人に見えていくのが凄い。初めは獣なんじゃないか?と思うほど狂暴で、近づけば取って喰われてしまうそうな恐ろしさを見せる。皆が過剰に怖がるせいもあって本当の鬼に見える。でもフクとコミュニケーションを取っていくうちに、まるで友達のように笑い合えるようになる。初めは雄叫びにしか聞こえなかった赤鬼のセリフが、時間が経つにつれ英語に聞こえてくるから凄く面白い。

フクがだんだん赤鬼を人間扱いしていくのが好きだ。出会った初めこそ鬼扱いだったが、身振り手振りが分かると鬼から動物のような扱いへ、言葉が分かると動物から人のような扱いへ、二人で喋れるようになると人から友達のような扱いへと変わっていく。このグラデーションのような関係性の変化がリアルだなと思う。

でも「言葉を知る度あなたが分からなくなる」と言うシーンであったり、裁判のシーンであったり、フクが赤鬼を疑う様子もきちんと描かれている。そりゃそうだ、たとえ簡単な意思の疎通はできていても全て理解している訳では無い、知らないものへの恐怖はフクにもあるのだ。信じたいけど信じれない、そんな葛藤が人間臭くて好きだし、結局赤鬼を信じるフクは凄く強い人なのだと思う。

最初は「ウミガメのスープだこれ!」くらいにしか思わなかったあのシーンも、時間が経つにつれ、赤鬼が人間になるにつれ、どんどん辛く苦しいシーンになっていった。最後の三人の会話にもあるように、あのとき、あの船の上で、きっと皆分かっていた。ミズカネも、トンビも、フクだって。

なぜなら”フカヒレのスープ”を出したのはトンビではなく村一番の嘘つきのミズカネだから。でもそれを言ってしまえば、分かってしまえば生きては行けないのだ。それはフクが嫌っていた人を人扱いしない人間に自分がなってしまうことを意味するから。船の上で”フカヒレのスープ”を飲んだことも、浜でミズカネに聞いてしまったことも、矛盾だらけでフクの弱さだけどそんな所が”人間”って感じでとても好きだ。

 

このような抽象的な舞台は色々な表現を見ることができてとても面白い。毎回あっと驚かされる。

噂好きの女達、頭の硬い老人達、はたまた森の木々にまでありとあらゆるものに変わっていく人達、使われ方によって机にも船にも洞窟にもなる最小限の道具、同じ場所が浜にも家にも海にもなる照明や音響。どの表現も様々な工夫が詰まっていて素晴らしかった。

あと、言葉遊びがとても面白かった。フクとミズカネの煽り合いの中に入っている言葉とか、意味を分かっていないトンビとのやり取りとかが面白くて笑ったし、赤鬼との若干噛み合ってない会話もクスっときた。笑いだけでなく、「大事」と”Oh,god!”のように物語のポイントになる部分にも”言葉”がキーになっていて凄いなと思った。

 

きっとまだまだ考えることが有るのだろうが、私にはこのくらいで精一杯だ。劇中は「どういうことだ?」「どうなるんだ?」の連続で世界観に引き込まれ役者さんの演技に圧倒された。あっという間の1時間40分で、見た後はテーマが胸にのしかかり、いつまでも作品の余韻に浸っていたいような、そんな素敵な時間だった。本当に面白い劇でした。ありがとう。

 

余談だがこの話で全国大会に行った演劇部があるらしい。ヤバいな、高校生がこの話をやるのか…これめちゃくちゃ演技上手い人じゃないと成り立たないでしょ……あ、演技が上手いから全国大会に行くのか、納得。

 

2020/12/2/3397文字