ブログ楽しい

最近色んなブログを読むのにハマっている。主に読んでいるのは女オタク(特に腐女子)のブログだ。

元々、増田で女オタクの長文お気持ちを読むのが好きだった。ただあそこは増田民が「増田を同人女のおもちゃにするな」と言っていたり、基本愚痴なので長時間見ると疲れる。

女オタクの長文は良い、なんでだろう、一番共感できるからかな…

ツイッターの愚痴、創作してる時の喜び、腐女子考察…どれも「分かる~~~!!!」となりながら読んでいる。ジャンルやカプをぼかして書いてあるのでより共感しやすいのかもしれない。

とにかく女オタクの長文を読むと自分でも何か書きたくなるのだ。いや、女オタクの長文じゃなくても人のブログを読むと自分も文章が書きたくなる。

ちなみに文章だけでなく絵もそうだ。pixivなんかのイラストサイトでネットサーフィンをすると自分も絵が描きたくなってくる。漫画なんか特にそうだ。

ただね~絵を生み出すのは疲れるのよ。なんでなんだろう、正しくないのが一発で分かっちゃうからかな…なんとな~く絵を描くこと自体はできるけど、画力が無いせいで福笑いになったり複雑骨折になるんだよな、それを直すには資料とかちゃんと見なくちゃいけなくてそれをすると疲れてしまう…怠惰だなぁ。

それに比べて文章を書くのは楽だ。だって普段使ってる言語で思ったまま書くんだから。いや、正しい言葉使いとか細かく描写するために色々調べないといけないのは分かってるんだけど、とりあえず伝わるかなって思って全然言葉とか調べずこのブログ書いてる。言葉の誤用とか句読点の位置が変とか漢字変換ミスとか色々あると思う、私が気づいてないだけで。

ブログ読むの楽しい!って言いたかっただけなのにだいぶ話が逸れてしまった。一つのことを考え出すと、そこから連想ゲームみたいに色々考えることもあるし、途中でいや違うな…?みたいに思うこともあるから私の文章は長くなりがちだ。

こういう所が「やっぱ私ツイッター向いてねぇな~」って思う。個人的にツイッターは視聴中の悲鳴とか、人との交流に向いてて、自分の考えとかを話すのには向いてないと思う。そりゃそうだ、140文字で自分の考えなんかまとまらない。私は自分の思考があっちこっち行ってるのも文章にしたいので余計140文字じゃまとまらない。(単に私の頭が弱いだけでは!?)

2000字とかじゃくてもっとサクっと気軽に読める記事が書きたくてこの記事を書き始めたのに、いつのまにか1000字になってしまった。いや、1000字はサクッと読めるか。

そもそもどれくらいがサクッと気軽に読める記事なんだろう…?また話が逸れてきたのでここらへんで止めておくことにする。

 

2020/11/27/1122文字

食の恨み

晩ごはんに大好きな鮭おにぎりを買おうと思ったら売り切れていて悲しかったので今回は食に関して悲しかったことを書いていこうと思います。

 意外と少食事件

これは私が中学生の時に起こりました。私の中学校はお弁当で、班という好きでもない人間達とグループを組んでご飯を食べさせられていました。私は少食な方で一気に食べることができず、好き嫌いが激しい為、お弁当の量自体が少なめで、その少量でさえ完食できないことも多々ありました。(残りは家に帰って食べていました。)(っていうか弁当があまり好きではありませんでした。)

それを目にした同じ班の女が「ナカメダさんって意外と少食なんだね」と言いました。起こった出来事としてはたったそれだけなのですがこの”意外と”という言葉に中学生の私は非常に腹を立てていました。

確かに中学生の私は運動もせず、毎日家に帰ったらYouTubeかニコニコを見ながらポテチを一袋食べていたので太っていました。

でもわざわざ意外とって言わなくても良くない?「お前太ってるからめっちゃ飯食うと思った(笑)意外と少食なんだね(笑)」って言ってるようなもんじゃん!あの女~~~~!!!!!今でも嫌いです。きっともう二度と会わないけど。

改めて文字に起こしてみると事件と呼ぶようなことでも無いですね。ただ中学生の私にとって見れば大事件だったので、太っていたことがよっぽどコンプレックスだったんだと思います。凄いひねくれ者、酷い拡大解釈ですね。痩せれてよかったな…

しゃぶしゃぶ事件

これも私が中学生の時、小学校の同窓会で起こりました。この同窓会は中学校卒業時にお母様方が企画してくださったものです。幼、小、中とほぼ一貫のような学校で、高校からは本格的に進路がバラバラになってしまうので、6年生の時の担任の先生とクラスのメンバーで集まってご飯(しゃぶしゃぶ)を食べましょう、という会でした。

普段は安いしゃぶしゃぶ屋で豚バラ肉だけ(一番安いコース)しか食べたことの無かった私は、少しお高めのしゃぶしゃぶ屋に胸を踊らせながら同窓会に参加しました。

私に割り振られた席は女子だけの席で、5~6人くらいで1つの鍋を囲むことになりました。

好きな肉を頼み、好きなタレを選び、好きな具材を取って友人と楽しく話ながら肉がくるのを待っていました。そしていよいよ肉が来て「肉を茹でるぞ~~」となった時、事件は起こります。当時学級委員であったAさんが「以前この店に来たことがあるから」と理由で仕切り始めたのです。仕切ること自体は別に良かったので「肉の皿一人何枚とか決めるのかな~」と思い、黙って見ていると、あろうことか彼女は一皿分の肉と皆が取ってきた具材を全て鍋にぶち込みました。

それはしゃぶしゃぶじゃねぇだろ!!!ただの鍋じゃねぇか!!!!しゃぶしゃぶは肉をしゃぶしゃぶするからしゃぶしゃぶなんだぞ!!!お前しゃぶしゃぶの意味知ってるか!!??!??!!

と叫びだしそうになりましたが、皆何の違和感も持たず普通に茹だった肉を食べだしたので「もしかして私のしゃぶしゃぶという概念が違うのか…?」と思い、隣の友人に「ねぇ、これって普通のしゃぶしゃぶと違くない?」と聞いたら「しゃぶしゃぶたべたことないから分かんない」と言われました。私はそれ以上何も聞くことができませんでした。

学級委員で真面目で周囲の人間に信頼されているAさんに、本と少しの友達がいればそれで良かった陰キャの私が「しゃぶしゃぶの楽しみ方が違うのでは?」と意見することなんてできませんでした。社会的地位が違いすぎて。

それからはAさんが一気に肉を入れ、茹だって固くなった肉を死んだ目で食べ続けました。肉の皿を渡してもらえなかったので…

ここまでの説明だとただただ辛かっただけの同窓会に思われるかもしれませんが、大好きな担任の先生と久しぶりに会えたり、仲が良かった友人とお喋りできたりしたのでちゃんと楽しかったです。ただAさんだけは絶対に許さん。

それ以来、しゃぶしゃぶを食べる時いつもAさんのことを思い出してはネタにしています。ありがとうAさん。許しはしないけど。

 

以上、食の恨みの話でした。いや~~~~心が狭い!食の恨みは醜いですね。あと凄い捻くれてるな、中学生の私…多感な時期だからしょうがないですね(?)

 

2020/11/27/1789文字

ツイッター疲れた!

メンヘラオタク女の愚痴。暗い。苦手な人はブラウザバック推奨!

 

ツイッター疲れた。なんかもう、人からの反応に一喜一憂するのに疲れた。

いや~ツイッター疲れたなんて初めて思ったな。前まで「ツイッター疲れた」って意見見ると「ツイッターに依存しすぎだろ、現実はどうした」って思ってたんだけど、自分がツイッターに依存するようになって「現実が上手くいかねぇからツイッターに依存するんだな」って分かった。

今、現実で私の周りには全くと言っていいほど人が居ない。話す相手は数人いるが世間話程度しかしないので寂しい。その上今までやってこなかった自分の不得意なことをしているので苦しい。その寂しさと苦しさを紛らわせるために一年弱ツイッターに依存して、とうとうツイッターでも寂しさや苦しさを感じるようになってしまった。どうしようもねぇな~~

 

私はどうしてツイッターに疲れたのか

・人の目を気にしすぎる

 それなりの時間人と交流しているとその人の性格とか好きなものとか嫌いなものとかが分かってくる。無闇矢鱈に人を傷つけたくは無いので「〇〇が好き!」と言っている人の前で「〇〇が嫌い」とは言えない。逆も然りだ。

 交流する時間が長くなれば長くなるほどそういう言えないことが増えていく。一対一だったらまだいいのだが、複数人と交流すると言えないことが更に増える。しかも厄介なことに、Aさんは「〇〇が好き」と言っていてBさんは「〇〇が嫌い」と言っているみたいなことが起こる。私がそのことについてTLで呟こうものなら確実にどちらかの地雷を踏むのだ。好き勝手に呟きたくてツイッターを始めたのに、結局好き勝手に呟くことはできなくなっていく。

いや、こんな気遣い(笑)をしても、その人がツイッターで言っていない地雷を踏んでいるのだろうし、そもそもその人が私の呟きを見ているのかも分からない。この気遣いはただの忖度だし、なんなら「私は気が遣えます」という自己満足に過ぎない。

一番嫌なのは「嫌われたくない」という気持ちがとても強いことだ。素敵な絵を描くあの人に、いつも仲良くしてくれるあの人に、尊敬しているあの人に嫌われたくない。だからせめて自分ができる範囲だけでも、色々な”あの人”に嫌われないように振る舞っている。それに疲れてしまった。

・承認欲求

それでも承認欲求のために他人との交流は止められなかった。好きなものの話をしていいねがもらえたら嬉しいし、「自分もそこ好き!」なんて言われるともっと嬉しい。

わざわざツイッターで呟くことは「誰かに見て欲しい、あわよくば反応が欲しい」なんていう承認欲求の塊のような行為だ。そうでない人もいるのだろうが、少なくとも私はそうだ。

最初は見てもらえるだけで良かったのに、いつのまにか反応が欲しくなり、反応欲しさに特定の人へ向けたような呟きもするようになった。そんな呟きをしてしまう自分がひどく浅ましくて、嫌で嫌で堪らなかったが、「見て欲しいな…」と思った相手から反応がもらえるとやっぱりとても嬉しかった。

最近はこの浅ましい行為の回数も頻度も増えてゆくばかりだ。しかし、どこまでいっても承認欲求は満たされず、すぐに次を求めてしまう。そんな自分が嫌になった。

 

色々と理由を書いたが、要するに私が疲れているので満たされないということだ。現実のストレスが強すぎて、現実逃避先であるツイッターでもストレスを感じてしまっている。本末転倒なのでツイッターとは少し距離を置こうと思う。

しかし、ツイッターから離れただけだと承認欲求が満たされないのでブログにこのクソかまちょお気持ち長文をぶちまけている。多分誰も見てないし良いだろ。

心配されたくないと言えば嘘になるが、このストレスの原因は自分自身が満たされてないことなので、多分他人によしよしされても根本的な解決にはならない。一時しのぎにはなっても、人が構ってくれなくなるとまたストレスを感じ始めるのだろう。恐らく、他人に評価を求めずに自分で自分を認められるようになるまで満たされることはない。これには「よしよししてくれ~」と言って無視されるのが怖いという本音も隠れている。

 

しばらくはこのブログでしばらくまったりする。

 

とか言ってこのブログほとんど私のフォロワー向けだからほんとに浅ましくて気持ち悪いよなぁ~~~~~~~~別に誰かが悪いとか、酷いことがあったとかではないので気にしないで、ただ書いたらスッキリするので書かせては欲しい。

ツイッターの通知が来るのが嫌なだけだから通知だけ切れればいいのに。でも通知来たらやっぱり嬉しいんだよな、矛盾だらけで愚かだよほんとに!

ブログは通知が全然来なくて、他人の存在をあまり感じない。とっても気が楽で、好き勝手に書ける。ツイッターでもそんな気を使えてたわけじゃないとは思うんだけどね、私の気持ちの問題だ。

 

うわ~~~~ほんとにクソみたいな文章だ!フォロワーには見られたくないけど誰かには見て欲しい!じゃあなんでこのブログで書いたんだ!?結局フォロワーに見てもらいたんだろ!そんな気持ち悪さが全面に出ている!最悪!マゾ!変態!露出狂!終わる!

 

2020/11/26/2125文字


追記:11/26に公開して数人に見てもらって満足して下げたけど私の中でツイッター疲れた!という気持ちが薄れてきたのでまた上げます。この文でツイッターに苦しむオタクが救われますように…(きっとそんなことは有り得無いよ!)

個人サイトが作りたい!

ネットサーフィンをしていると「個人サイトの時代は良かった…」みたいな意見をよく見かけるので「私も個人サイト作りてぇ!」って思ったんだけど、「個人サイト 作り方」で検索したらHTMLやらCSSやら訳の分からん言葉が並んでてウッ…ってなった。

一番キツかったのは「こんな人には難しい」って欄に”英語が苦手な人”って書いてあったこと。私は英語が大嫌いだ。暗記が嫌いなので単語が覚えられないとか、小さい頃難しい英語の塾に入れられて全然できなくて苦手意識が抜けないとか、理由が色々あってとにかく英語が嫌いだ。いや、英語の愚痴を話したかった訳ではなくて…

「個人サイトはまた今度にしよう…せめてこのブログのデザインをなんかイカれた感じにしたいな」と思って色々調べてみたんだけど、これもよく分からなかった。とある記事に”CSSは一週間もあれば勉強できるので分かると色々いじれて楽しいですよ~”と書いてあって調べるのを止めた。私は今日ブログのデザインを変えたかったのだ。(ワガママ!!!!!)

つくづく「パソコンの使い方まだまだ知らないな~」と思った。高校の情報の時間にパワポの作り方とかエクセルの使い方とか習ったときにも同じことを思った。私は結構パソコンを使ってはいるが、ニコニコ動画を見ることかブラウザゲーで遊ぶかツイッターを見ることくらいしかしないのでパソコンのスキルは全く上がらない。インターネットで活躍してる人は情報系(?)に強い人が多いイメージ(偏見)なので「私もいつかああなりたいな」と思いながら見ている。

話がだいぶ逸れてしまった。個人サイトとかブログって良いよなって話がしたかったんだ。

個人サイトのことは人から聞いた話と今日ちらっとサーチして巡ってみた(ちなみにほとんど死んでいた。)くらいしか知らないのだが、ブログも個人サイトも他人との繋がりが緩くて良いなと思う。「自分のフィールド!俺がルール!」感があって好き、自分の庭を自分で整備してる感じ(?)

このブログもなかなか好き勝手に書いてるんだけど、一応絵を描いたりしているのでそれをまとめたいな~なんて思ったりする。手描き動画とかnoteとかツイッターのアカウントが5個あったりとか正直バラけすぎてるんだよな、私は自分の過去の姿(描いた絵とか呟きとか文章とか)を見返すのが好きなので一つにまとめてみたい。

…飽き性の私が個人サイト管理できるのかな。「やってみよ~」って作って作ったことに満足して飽きそう。思えば昔から色んな〇〇ノートを作って2ページ目くらいで飽きていた。日記とか絵を描く用とか植物の観察日記とか色々な目的別に分けるんだけど続かないんだよな、すぐ飽きちゃう。

まぁ時間できたら勉強して個人サイトを作ってみたいな、作ったけど飽きたらそれもそれでまた一興でしょう(一興か?)

 あーあ、私も~貴女が○人目のプリンセス~やりたいしキリ番踏み逃げ厳禁やりたいし相互リンクやりたいしキリ番絵描きたいな~~~!!!うろ覚えの知識だから合ってるのかは知らんけど。

 

2020/11/24/1270文字

 

二次創作との付き合い方

二次創作の小説を読んで色々考え始めてしまったのでそれを書いていこうと思う。

私は原作の解釈が下手だ。その物語が伝えたかったテーマを考えたりするが頓珍漢なことを言っているかもしれないし、伝えたかったことを全て汲み取れている訳では無いと思う。そんな私でも大体のストーリーとキャラクターくらいは分かっているつもりだ。

でもどうしても分からないキャラクターがいた。本編を見ても映画を見てもオタクの解釈ツイートを見ても「こういう人だ!」となることは無く、そのキャラクターは周りのオタクからもツイッター上のオタクからも「この人はわからない人だ…」という扱いを受けていた。

二次創作の小説を読んでも、読んでいる途中に「こんな人間か…?」と考えてしまって素直に楽しめなかったし、作品の中で私が違和感を感じずにそのキャラクターが動いてくれただけで感動してブクマしたりした。(普段は好きなシチュエーションの話しかブクマしない。)

そんな日々を過ごしていた時、ある二次創作の小説と出会った。その作品の中でそのキャラクターは全く違和感なく動いてくれた。「こんな人間か?」「そうはならなくないか?」なんて考える暇もなく「あぁ、そういう所あるよね」とか「こういうことしそうだな」とか純粋に作品を楽しめたし、何より性癖にどストライクだった。訳の分からんキャラクターを解釈して二次創作で違和感無く動かせるのが本当に凄いなと思って始めて「あぁ、こういう人が所謂”神字書き”という人なんだろうな」と感じた。

その人の他の作品も読んで、そのキャラクターに対する理解が深まったように感じた。

 

しかしこれは果たして”理解が深まった”と言えるだろうか?

二次創作とは原作のキャラを個人的に解釈し、カッコいい所や可愛い所など自分がそのキャラの好きな所を増長させて分かりやすく表現したものだと私は思っている。

自分がそのキャラを解釈できなかったから二次創作の分かりやすい表現に頼って、他人の解釈で萌えて…それはしっかりそのキャラクターと言えるのか?他人の中で解釈され記号化されたキャラクターを使って、好きなシチュエーションを考えたりイラストを描いたりするのはもはや三次創作ではないか?そんなことを考え始めてしまった。(どエロイ小説を読んだ後だったのに…)

思えば今までも、元々好きだったキャラの二次創作に触れて、より好きになった結果ドハマりするということばかりだった気がする。推しカプができるという現象は特にそれが顕著だ。

そもそも私は腐女子ではない。いや、BLを読むという意味では腐女子と扱われるのかもしれないが、自分でBL妄想をできないし商業BLにもあまり興味が無いので自分では腐女子ではないと思っている。二次創作のBL小説を読むときは「この二人が乗せあってるクソデカ感情に”恋愛”という名前を付けたらこんな感じか~」みたいな気持ちで読んでいる。

これは「好きなことと恋愛感情の違いがそもそも分からない!」だったり「恋愛ってなんだよ!?」という話に繋がって長くなるので割愛。

互いのことを大切に思っていて互いのことが好きな二人のクソデカ感情は恋愛と定義してしまうのが一番手っ取り早くて分かりやすく、二次創作のBL小説はお手軽にクソデカ感情を摂取できて好きだ。…思考がカップリングとは何か?という方向に行きかけているので話を元に戻そう。

 

推しカプができるということは腐女子でない私にとって二次創作から好きになることの顕著な例だ。私は二次創作から好きになることがあまり好きでは無い。二次創作と原作を自分なりに解釈した上で見るものであって、二次創作で作られた話をみて「このキャラが好き」とか「この作品(原作)が好き」というのは少し違う…というか原作との真摯な向き合い方では無いんじゃないかと思う。

私が理想とする原作との付き合い方は原作を見て、自分で噛み砕き、自分の解釈をしっかりと作った上でオタクと交流したり二次創作を楽しむことだ。自分の解釈が全く無いのに他人の解釈を聞いて、それが刷り込まれてしまったらそれはもう”自分”の解釈では無いように思う。

ただ、まだまだ未熟なので自分では解決できなかったり納得できなかったりすることがよくあり、その度に色々な本を読んで知識を付けたり、もっと生きて人生経験を豊富にしたりして精進しなければなぁ…と思う。自分で納得できる解釈ができるようになりたい。

「他人の解釈に引っ張られたくない!でも自分じゃ分からない!そもそも私が今までハマってきたものって全部二次創作から好きになってない!?Beyond pien paon」みたいな気持ちでこれを書き始めたはずなのに、思考がぐちゃぐちゃしてきたのでここらへんでやめておこうと思う。

「二次創作で作られる世界は分かりやすくて楽しいんだけど妄想力が強い人ほど説得力のある捏造を出してくるから頭の弱い私はそれに引っ張られて辛い」という話がしたかったのだが、二次創作が嫌いな人みたいな文章になってしまった。

二次創作が嫌いなのではなく、原作にない二次創作の解釈に引っ張られてしまう自分が嫌なのだ。いつか自分で二次創作ができるくらいの理解力を持てるように頑張っていこうと思う。

 

2020/11/11/2150文字