違う話題より違う感情の方が辛い

今見てる仮面ライダーゴーストの43話で主人公に色んな人の感情が流れ込んできて苦しいっていう描写があった。一緒に見ていた母が「でも悪い感情だけじゃなくて良い感情もあるでしょ」と言っていたが、私は良い感情が入っていても辛いと思う。疲れているときにツイッターでめちゃくちゃ元気にオタ活してるオタクとか見るとなんかしんどくない?

 

最近ぐちったーというサイトを知り、落ち込んでいるときには良く利用している。ぐちったーは沢山愚痴って沢山励まし合おうというサイトで、アカウントのないツイッターみたいな感じ。つぶやきに対してコメントもできるが共感コメント以外は利用規約に反するので書き込んではいけない。

愚痴であればどんな内容でもいいので、仕事の愚痴や日常生活での愚痴、結婚生活の愚痴からオタクの愚痴まで結構色んなジャンルの愚痴がある。ほとんどが知らないジャンルの話だが、疲れているときには本当に居心地が良い。なんというかつぶやきのテンションが同じなのだ。皆疲れてる。(完全に偏見)

でも逆にポジティブな気持ちで元気な時は絶対見ない。だって皆基本ネガティブだから見ててしんどくなる。

 

ツイッターがしんどいのはテンションが違う情報が遮断しづらいからだと思う。嫌いなジャンルはミュートワードである程度見ないことができるけどメンヘラツイートとか防ぎようがないじゃん…自分が幸せな気分なときに悲しそうなツイート見るのはしんどいし、逆に自分が疲れてるときに元気一杯なツイート見るのもしんどい。あと、同じジャンルの人でもノリが合わないとなんか話しづらい。そもそも話が合わないことさえある。

でも仲の良い別ジャンルの友達の推しの話は、内容はよく分からないけど聞いててめっちゃ楽しい。仲の良い人って、大体価値観とか喋るテンションが一緒の人だから一緒に話してて疲れないんだよな。

テンションだけじゃなくて感情が違う場合も辛い。自分が大好きな作品を検索してサジェストに「○○(作品名)酷い」とか出てきたら滅茶苦茶ショックだもん。


結局は違うのが辛いというより、見たくない情報や合わない意見を意図せず見てしまうのが辛いだけなのかもしれない。

あと統一性も大事だと思う。ぐちったーは「愚痴を言う」という統一性があり、ある程度内容が予想出来るが、ツイッターは統一性が無く、内容が全く予想出来ない。だから思わぬところでダメージを受けてしまい、しんどくなるのでは?知らんけど。